大分ご無沙汰いたしました!

このブログの画面が変わり、ブログの書き方ができなくなっていました。
今後共よろしくお願いします。

今日は火曜日なので、「買い物」と「かっぱつ体操」に行きました。
好きな人ばかりの参加だから、皆にぎやかでした。

半年位の間に様子は病気もいろいろ替り、しばらく休んでいる間に」目の手術をした人が隣でした。
世間話をしばらくして、男性おひとり暮らしなのでいろいろ不自由をしていらっしゃるようです。

私は、立って動くと転ぶので椅子に座って回りの皆さまにお世話になりながらその場で見守りましたけど・・・・


来週も行けたらいいけど「寿命はどこまで続くなかな?Dscf6701


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危ない、危ない!

7年目になった「東日本大震災」の事はこの辺りで一先ず置いて、いつもの日常を書こうと思います。

私は元気で毎日を過ごしていますが、時々薬の副作用なのか、時々気力が起きなかったり、体のバランスを崩し転ぶ時があります。

玄関で靴を脱ぐ時や重い物を持った時は要注意です。
時々散歩もしますが、体力が続かなくてベンチで休みながら歩きます。

明日は「母の日」、早速娘からプレゼントが届きました。今年はサクランボでした。甘いので嬉しいです。Dscf7395


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西伊豆!

「西伊豆」は地震が発生する前からツアーに申し込み、さくらを観る計画をしていました。
日時は4月1日、新宿駅の東口に集合ということでした。

運良く常磐線が動くようになったので、準備をしていると旅行会社から連絡が入りました。
「4月1日は〇〇さんだけです」「4月2日に変更できますが・・・・・」っということで2日にしました。
新宿駅から熱海まで新幹線で行き、そこからバスに乗り「日本平」から「西伊豆」までフェリーで渡り「土肥温泉」で泊まりました。
夜になってもテレビでは地震速報は絶えず流れ、「茨城県震度4、5」とか言っていて、揺れると思って身構えてましたがここでは全然揺れません。

次の日は「さくら山」、「伊豆半島」の突端まで歩き、バスで「横浜駅」へ・・・・・食事して少し時間があったので集合場所にいると、声が聞こえてきました。「その時は大宮に居てお寺に避難して、地元の人に毛布や食べ物を貰って次の日に帰った・・・・」

「私はちょうど東北に行っていて道路が混んで動かないので〇〇時間掛かって夜中にやっと東京に着いた」これは添乗員さんの言葉でした。

地震、どこで遭うか分からないので防ぎようがありませんが、その時の状況で機転を利かせてもっとも良い方法を考えるしかありません。

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電柱!

震度4,5の地震は時間に関係なく発生し、車を運転している時は、道路の両側に立ってる電柱の揺れで今にも倒れてくるんじゃないかと恐怖に思えてきました。

そして、車の中でも揺れ、でこぼこ道を通っている感覚でした。それが約1週間続き、段々揺れる頻度が少なくなり、体も揺れに慣れ震度3では驚かなくなりました。
それでも地震が発生するたびにテレビでは震度を知らせるテロップが流れ、私達は慣れて「今のは震度4」とか「震度2」とか当たりをつけて「今のは〇〇だよね」などと遊ぶ余裕が出てきました。

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橋!

東日本大地震の次の日の早朝、本宅に向かって出発すると、道路ではガス欠の車が動かなくて、ところどころで停まっていた。

国道6号線(東京~仙台)の中間、石岡のところには常磐線の上を国道が掛かっていて、その橋が通れないので迂回、その道が細い道で、交互通行になっていて凸凹、「ここのところがネックだった」

そこを通り過ぎるとスムーズ、8時過ぎには本宅に着いた。

家の前では車の中で一夜を過ごした近所の人が出て来た。

「お兄ちゃんにも一緒に居ようと言ったんだけど家の中が良いと言って家の中に居ますよ」
玄関を開けると廊下で寝ていた。「寒かったでしょう」というと「ここだとすぐ出られるから・・・・」
そんなこんなの時も絶えず震度3,4の地震があった。(そのうち慣れたけど)

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ラジオ放送!

東日本大震災の次の日(12日)、本宅に向かう車の中でラジオを聴いていると「福島第一原発」の放送が頻繁に・・・・

そして、その時の総理大臣は民主党の菅さん(かんさん)、原発に詳しい人がいろいろコメントしているが、私のような素人では内容が良く分からなかったが大変な事が起こっているのは分かった。
「水素がたまり爆発するのでそれは防がなくては・・・・」
「でも近寄れないのでどうしようも無い」
その内火災が起き、ヘリコプターから消火液で消すことになりてんやわんや」

そして、数日後にはあの爆発と放射線をまき散らす事故になった。

早い情報はラジオが一番かも・・・・

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五十肩!

まだしばらくお付き合いください。
この辺りは、福島の原発が風に乗って飛んでくるので「外には出ないで」という情報が流れた。
外は寒いので炬燵の中にドップリ、毎日、被災者の声や避難所が映し出されていたテレビを見入っていると、肩の痛みが強くなり、とうとう病院に通うことになった。
1か所では治りそうになく、以前通っていた接骨院で湿布薬を貰い、それを貼ると大分楽になった。

この五十肩、2年程痛みは続き、右肩が良くなったと思ったら今度は左肩にも痛みが移り、少しづつ体操などをしてると痛みがやわらぎ、3年近くの痛みから解放された。

この時強く思ったことは、湿布薬を背中中央に貼るには家族の助けが必要なことでした。

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不幸中の幸い!

東日本大地震の時は、どこの家庭でも多少の被害に遭ってますが、その中でも「どうしてそうなったの・・・」と不思議に思うことがあります。

我が家では携帯電話、震災1か月前のこと、2月14日バレンタインデイに長男がNTTの携帯電話を契約してきました。
機械に疎い長男ですが、頑張ってメールを打つまで出来るように練習をしてました。
そして震災の日、すぐメールが届きました。

ソフトバンクは繋がらなかったけどNTTは繋がり、「大丈夫?何をしたら良い?」メールが繋がったので安心でした。
次の日、本宅に着くと玄関で寝てました。「ここが一番安心かな?」
水道と電気が停まっているのでストーブで煮炊きをして暖も取り、冷凍庫の中の餅を焼いて食べることになりました。
電気は2,3日で通じ光を見ると安心できました。(ありがたや)

生活のもろもろを教え、トイレが使えないので私達はマンションに帰りました。

まだ仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃるので、早く次めどが立てば良いですね。

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震災から7年!

もう7年が過ぎ8年目に突入しました。
思い起こせばその日は以前乗っていた本田LIFEがちょうど車検で、近くのガソリンスタンドに預け「4時に取りに来ます」と言ってマンションに帰りました。
その間に大揺れで津波の映像に見入っていて、4時過ぎに取りに行くと「ガソリン入れます?」と言われたけどこんなことになるとは思わなかったので「半分入っているから良いです」と言って帰って来ました。
7年前の3月11日は金曜日、道路では帰宅する人が歩きで帰っている姿が見えました。

部屋の中は物が落ちメチャクチャ、この辺りでは、地震は南北に揺れるのでその為の養生は心得ていましたが、この地震は東西に揺れましたからびっくりしました。そして揺れてる時間が長く、感覚では30秒ほどでしょうか・・・・・テレビを観ていると津波の映像が次々映し出されます。

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お葬式!

今日は、同じマンションに住んでいた人のお葬式に行って来ました。
自分の体調はいまいちですがこの方とは親しくしていただき、「かっぱつ体操」も一緒にした仲なので勇気を出して出かけました。

奥様のおっしゃるには、「胃の手術を2回して、食べ物が喉を通らず1年半程お世話に苦労した」ことなど語られました。
マンションの知り合いの方達に見送られ、今日旅立って行きました。

最期まで生きるために頑張っていたそうなので、頭が下がります。

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